見方の違い。
2017年 10月 26日
よく”自転車には乗らないんですけれど、、、”と言ってバッグをオーダーしてくれるお客さんがいらっしゃいます。全く乗らない、というよりはスポーツバイクじゃなくてママチャリは乗るとか、今は乗る環境がないとかそいういう方。バッグが好きで、とか、オーダーという形が好きで、とか皆さん色んなきっかけでコゼバッグに興味を持ってくださってすごく嬉しい。
でも、時々、”自転車には乗れないんです”という方がいらっしゃいます。乗る環境とかじゃなくて体に障がいがあって乗ることができない、という方。でも、うちに来られるくらいなので色々聞いてみると自分と違う価値観やモノの見方があって普段不自由なく生活していることが当たり前、ということに驚かされるのです。
逆に障がいがあって歩くのは時間がかかってしんどそうだけれど自転車に乗ると羽が生えたようにウロウロできる強者ご近所さんもいて一概に障がいと言っても色々だな、と思ったりします。
数年前、スギノテクノの社長であった杉野さん(今はサイクリングツアープロジェクトという会社をされてます)に誘われて、目の見えない方が自転車に乗るイベントの手伝いに行ったことがあります。目が見えない、と言っても先天的に見えない方と後天的に見えなくなった方では自転車に対するイメージも違うし、自転車に乗るってこと自体の捉え方も違います。もし自分が目が見えなかったら多分人生は全く違ったでしょうし、今の所裸眼1.5の視力を持ってますがこれから何がきっかけで0の世界になるかもわかりません。
想像力って実にすごい力を持ったものですが、実体験をもとに想像することは簡単です。でも全くの未体験から想像することはく難しい。
その目の見えない方達が自転車に乗るイベントではタンデム車に乗って”健常者が運転する人”と”目の見えない人が後ろでこぐ人”になり、自転車に乗って浴びる風、空気、音を感じてもらえたようです。後天的に見えなくなった方と先天的に見えなくなった方では乗り方の説明も全然違ったし、ペダルを回すってことの説明も違ったし実際進んでる時の感動も違ったように感じられました。
ワタシは幸い目も見えるし体も何不自由なく動きます。そいういう人間が反対側にいるヒトたちを想像するのは簡単かもしれないけれど、それは必ずしも実体験を伴うものではないし、”ふーん”という言葉一つで片付いてしまいます。けれど、自分とは違うヒトの話を聞くことで霞みがかった想像にちょっとずつ鮮やかさが伴う気がします。(多分こういうのを百聞は一見にしかず、というのでしょうね)
と書いてて思い出したのですが、以前山の中をマウンテンバイクで走ってる時に目の見えない方がハイキングするグループとすれ違いました。衝撃でした。どんな風にこの山の匂いと空気を感じるのだろう、と。ワタシでさえ山の中に入ると神経が研ぎ澄まされるのですから人工的な音のない山の中は一体どんな風に感じるんだろう、と。
多分それは言葉で表せるようなものではない感覚的なものなんだろうけれど、目をつぶって感じるのとは全く別次元のものなんだろうな、と考えたことを思い出しました。
つまるところ何が言いたいかというと、自転車用バッグだけれど、コゼバッグは自転車に乗る人達だけのバッグではないんですよ、ということです。コンセプトとして自転車用バッグを売ってますが、別に何でも縫える。縫えないものもあるけれど、洋服の病院よりかはいい仕事ができることがあります。修理カスタムだけではなくクリエイトもできるので、ちょっとこういうのできないかな?みたいな縫い物仕事、結構来ます。色々な世界を知ることで作るものの幅も広がりお客さんにフィードバックできる、そういうモノを作るバッグ屋です。そして、多分ヒトと話すのが好きなんでしょうね。色んな話がしたい、聞きたい。そういう興味がとてもあるのです。なので、お客さんとは結構深く話しをします。あんまり聞かれたくないのかな?と雰囲気を感じ取ったら聞きません。大人なのでだいぶ空気読めるようになりました。人と話すと百聞は一見にしかずではありませんが面白いなあと思うのです。
見方の違いに気づくってすごく面白いです。同じものを見てても人によって見えかた感じ方捉え方が違う。そういう感覚的なものを言葉に表して共有するってすごく難しいですが、逆にすごく面白いことでもあると思います。
長くなりました。
でも、時々、”自転車には乗れないんです”という方がいらっしゃいます。乗る環境とかじゃなくて体に障がいがあって乗ることができない、という方。でも、うちに来られるくらいなので色々聞いてみると自分と違う価値観やモノの見方があって普段不自由なく生活していることが当たり前、ということに驚かされるのです。
逆に障がいがあって歩くのは時間がかかってしんどそうだけれど自転車に乗ると羽が生えたようにウロウロできる強者ご近所さんもいて一概に障がいと言っても色々だな、と思ったりします。
数年前、スギノテクノの社長であった杉野さん(今はサイクリングツアープロジェクトという会社をされてます)に誘われて、目の見えない方が自転車に乗るイベントの手伝いに行ったことがあります。目が見えない、と言っても先天的に見えない方と後天的に見えなくなった方では自転車に対するイメージも違うし、自転車に乗るってこと自体の捉え方も違います。もし自分が目が見えなかったら多分人生は全く違ったでしょうし、今の所裸眼1.5の視力を持ってますがこれから何がきっかけで0の世界になるかもわかりません。
想像力って実にすごい力を持ったものですが、実体験をもとに想像することは簡単です。でも全くの未体験から想像することはく難しい。
その目の見えない方達が自転車に乗るイベントではタンデム車に乗って”健常者が運転する人”と”目の見えない人が後ろでこぐ人”になり、自転車に乗って浴びる風、空気、音を感じてもらえたようです。後天的に見えなくなった方と先天的に見えなくなった方では乗り方の説明も全然違ったし、ペダルを回すってことの説明も違ったし実際進んでる時の感動も違ったように感じられました。
ワタシは幸い目も見えるし体も何不自由なく動きます。そいういう人間が反対側にいるヒトたちを想像するのは簡単かもしれないけれど、それは必ずしも実体験を伴うものではないし、”ふーん”という言葉一つで片付いてしまいます。けれど、自分とは違うヒトの話を聞くことで霞みがかった想像にちょっとずつ鮮やかさが伴う気がします。(多分こういうのを百聞は一見にしかず、というのでしょうね)
と書いてて思い出したのですが、以前山の中をマウンテンバイクで走ってる時に目の見えない方がハイキングするグループとすれ違いました。衝撃でした。どんな風にこの山の匂いと空気を感じるのだろう、と。ワタシでさえ山の中に入ると神経が研ぎ澄まされるのですから人工的な音のない山の中は一体どんな風に感じるんだろう、と。
多分それは言葉で表せるようなものではない感覚的なものなんだろうけれど、目をつぶって感じるのとは全く別次元のものなんだろうな、と考えたことを思い出しました。
つまるところ何が言いたいかというと、自転車用バッグだけれど、コゼバッグは自転車に乗る人達だけのバッグではないんですよ、ということです。コンセプトとして自転車用バッグを売ってますが、別に何でも縫える。縫えないものもあるけれど、洋服の病院よりかはいい仕事ができることがあります。修理カスタムだけではなくクリエイトもできるので、ちょっとこういうのできないかな?みたいな縫い物仕事、結構来ます。色々な世界を知ることで作るものの幅も広がりお客さんにフィードバックできる、そういうモノを作るバッグ屋です。そして、多分ヒトと話すのが好きなんでしょうね。色んな話がしたい、聞きたい。そういう興味がとてもあるのです。なので、お客さんとは結構深く話しをします。あんまり聞かれたくないのかな?と雰囲気を感じ取ったら聞きません。大人なのでだいぶ空気読めるようになりました。人と話すと百聞は一見にしかずではありませんが面白いなあと思うのです。
見方の違いに気づくってすごく面白いです。同じものを見てても人によって見えかた感じ方捉え方が違う。そういう感覚的なものを言葉に表して共有するってすごく難しいですが、逆にすごく面白いことでもあると思います。
長くなりました。
by cosset-cosset
| 2017-10-26 04:49